ここは大阪府堺市美原区、さつき野っていう高級住宅街にやってきました。
さつき野地区は、昭和頃までは山だった土地を切り開いてできた住宅街。いわゆるニュータウンというやつです。1990年代後半から分譲・造成が本格化したのですが、かつては「さつき野に鉄道を通す」というような市の案があったにもかかわらず、結局のところは出来ずじまいとなったのです。
今日はそんな悲しい過去をもつ高級住宅街さつき野を歩いてみた。
ちなみに、さつき野西とさつき野東の2つの地区があるが、当記事では両方ひっくるめてさつき野と呼称させてもらうぞ。
(撮影・執筆 2025年6月)
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さつき野地区を歩く
さつき野じたいが山を切り開いて造られたニュータウンということで、全体的にゆるやかな坂道になっている街なんですよ。
小さな街だが、太成学院大学もあるので学生なども多い。昨今は住民不足などゴーストタウンになってしまうニュータウンも多い中、さつき野に限ってはまだそんなことはない。閑静だが、まだたくさん住民が残っているような印象です。
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高級住宅街ということもあってか、家一軒一軒が妙に大きい。あと、美原区じたいが植樹が活発な街ということもあって、敷地内に木や花などの植物を育てているお宅が多いですね。堺市では珍しい気品のある街だと思うぞ。
冒頭でも言ったが、さつき野は1990年代後半から分譲・造成が本格化した。しかし1980年代後半~1990年代前半に建てられた古い住まいもあるし、逆につい最近もちょこちょこと建て替えによって新築が建てられていたりする。
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頓挫した鉄道構想案
さつき野で唯一、スーパーなどがある地帯↑
さつき野の歴史や文化に関してはたくさん話したいことがあるのだが、当記事ではかつて存在した鉄道構想案についてのことだけ語ろう。
僕がさつき野を歩いているときに地元の方々にお話を聞いて回ったのですが、ほとんどの人が鉄道構想案のことについては知っていた。というより、この鉄道構想案に腹を立てている人もいたほど。というのも「鉄道が通る」ということを前提で、ここに家を建てた方々が多いからだ。実際、当時はこの鉄道構想案を売り文句にしていた不動産屋も多かったという。
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しかし飽くまで鉄道構想の案である。実際は案の段階で頓挫しており、現在ではバス停と乗り合いタクシーのみが主な交通手段となっている。着工にさえ至らなかったのです。「鉄道ができると言ってたから家を買ったのに・・・・・・」という人々からしたら、それをダシに高い土地・家を販売していた不動産屋に怒りを覚えるのも無理はないのだ。
鉄道が頓挫した主な理由は、単純に採算がとれる見込みがなく、計画に現実性がないと判断されたから。鉄道延線やモノレールを作るとなると、1kmあたりでも数百億円という莫大な費用がかかり、その後の維持もたいへん。さつき野だけじゃなく、美原区そのものが住民が少ない地域であることから、これまでにもたびたび鉄道構想案が出てきては立ち消え、出てきては立ち消えを繰り返しているのですよ。
現実性という壁はそう易々と超えられるものではないということやな。世知辛いわ。
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傾斜の多い地域柄もあるかも。鉄道は勾配に弱いんだっけ? いや、もう、ほんとに坂道が多くて歩いていると汗だくになってきました///
高いコスト、低い需要、住民との調整難度、車社会への移行・・・・・・鉄道頓挫の理由を挙げればきりがないが、そうした交通政策の見直しが重なった結果、現在の鉄道が存在しないさつき野になったのだろう。
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小さな公園がちょこちょこある
さつきの運動広場というところに着いた。テニスコートや野球場があって、となりには小学校もあった。
さつき野には大きな公園はないが、小さな公園はちょこちょこありましたよ。
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さつき野公園↑
さつき野公園がこの地区での最大の公園だと思うのですが、広い野原(グラウンド)に昔の窯跡とかの史跡もあったりしてなかなか興味深い公園です。小さい子も遊べるような遊具もちょっとだけあったぞ。
ここ以外では、つばき公園やさくら公園など、小さな公園が点在していた。
坂道が多くて医療施設や食料品店なども乏しい街なので、ご高齢の方々にはやや住みずらい街かもしれません。しかし、閑静で清潔感のある街並みなので車をもっている人にとっては住みやすい街なんじゃないかと思います。
また、さつき野ではいろんな史跡を発見したので、また今度当ブログにてそのへんの歴史とかも語っていきますね。では、さよなら。
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『さつき野西』の場所
グーグルマップ
https://maps.app.goo.gl/bT3DYXyipwy7MPkj7
『さつき野東』の場所
グーグルマップ