
美原区の丹南(赤枠内の部分) グーグルマップのスクショ↑
大阪府堺市美原区の北の端に、ぽつんと存在する丹南(たんなん)地区。
地図をじーっと見ないと見逃しそうなほど小さく、2025年時点ではマンション等の建物がわずか4軒ほどあるだけ。こんな町がほんとに存在するのかと疑って現地に行ったら、ありました。しっかり、こぢんまりと。
でも実はこの町、ただ小さいだけじゃありません。
美原区の丹南町は、すぐ隣にある松原市の丹南地区と、かつて一つの「丹南村」だった場所なんです。
(撮影・執筆 2025年6月)
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隣り合う“ふたつの丹南”
ここが美原区の丹南地区でございます。
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さっきも言ったけど、美原区の丹南地区はめちゃくちゃ狭い。上の写真のピンクで囲まれてるところまでしかありません。徒歩1分で縦断できます。
上の写真の右側部分からは松原市の丹南地区となっていて、道1本挟んですぐ隣同士。
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ちなみに松原市の丹南地区はめちゃくちゃ広いです。ぶっちゃけ美原の丹南の100倍くらい広いです。
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「丹南村」はこうして分かれた!
松原市にある「丹南天満宮」↑
松原市の丹南、美原区の丹南。「同じ地名やけど、なんでなん?」と思うかもしれませんが、もともとこの2か所、明治時代はひとつの丹南村だったんですよ。
町の生い立ちを順を追って書くと・・・・・・
1889年(明治22)に南河内郡で「丹南村」が誕生しました。
その後、1956年(昭和31)に丹南村が、黒山村・平尾村と合併して「美原町(現在の美原区)」になりました。
さらにさらに、1957年(昭和32)に美原町の一部(旧・丹南村の一部)が松原市へ編入され現在に至る。
・・・・・・というかんじです。
この1957年の分割で、現在の「松原市丹南」と「堺市美原区丹南」に分かれてしまったというわけやね。
つまり、地名だけ見ると別物に思えるかもですが、実際にはかつては同じ村だったルーツ共有地名ってことなんですよ。
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美原の丹南町がミニサイズな理由

美原区の丹南の特徴は、なんといってもその狭すぎる町域(上の写真、赤枠内が美原区丹南)。Googleマップで見てみても、建物がポツン・・・・・・ポツン・・・・・・とあるだけで終わり。
けど、れっきとした堺市美原区の「町名」なんです。なぜこんな極小エリアが町になってるのかというと、これは昔の“字(あざ)”がそのまま町名として残ったから。
たとえば他の地域なら「字丹南・字新家・字黒山」みたいにいくつかまとめて「○○が丘」とか「○○町」みたいなかんじにしたりするんですが、この丹南は「あ、もう丹南だけで町にしとこ」ってノリで単独町化されたっぽい。結果、建物は数軒、町域はミニマムということになったんです。
なぜ、単独町化ということにしたのかはいろいろ調べてもわからんかった。(当たり前だが、その場のノリで決めたわけではないと思う)
飽くまで僕の予想ですが、かつてここも丹南村だったという歴史を美原区に残したかったんじゃないかなと思ってる。知らんけど。
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丹南は“分かれてもつながってる”
丹南町会総合会館↑
美原区と松原市の丹南地区。今は行政上は完全に別々ですが、かつては一つの「丹南村」として人々が暮らしていた歴史があります。
美原一小さいかもしれない。だけどそこに眠るストーリーは壮大・・・・・・なのかもしれない。
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『美原区の丹南』の場所
グーグルマップ