通法寺跡 山門↑
某日、大阪府羽曳野市にやってきたんです。
「ちょっとヒマやし、なんかおもろいとこないかな〜」と地図を見てたら、「通法寺跡」なる地味そうなスポットを発見。
どうせ石碑一本立ってるだけやろ〜と思って行ったら・・・まさかの展開!
源頼義の墓があるわ、
ついでにパパ(源頼信)の館跡もあるわ、
さらに江戸時代の鐘楼跡まで残ってるわ、
・・・・・・おい、情報量どうなっとんねん!!
もうこれは「通法寺跡」じゃなくて「源氏まるごと跡地パーク」って名前にしたほうがええんちゃうか?
(撮影・執筆 2025年6月)
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通法寺って、そもそも誰が建てたん?
通法寺跡の景色↑(ほとんど野原やけど、一部、石垣とかが残ってたりするぞ)
狩りの途中で仏像拾った源頼義さん(マジ)。
「これはありがたすぎるやろ!よっしゃ寺建てよ!」と即行動。
それがこの通法寺の始まり。
現代風に言えば「通勤途中に神アイテム見つけて、即会社つくった」みたいなノリ。武士、自由すぎへん?
頼義は平安時代のガチ武将で、前九年の役(平安時代後期に陸奥国で起こった戦い)で暴れまくって武名をあげたお方。
そんな人が「この地に骨うずめるわ」って言うて、ガチで本堂の下に埋まってるって、もう・・・浪花節にもほどがあるやろ。
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あの木造建物、気になってたやろ? それ「鐘楼」です!
通法寺跡で目をひくのが、ぽつんと残る木造の建物。「これ、除夜の鐘とかつくやつ?」って思った人、正解です。
これは元禄13年(1700年)に建てられた「鐘楼」。お寺の鐘を吊るすためのやつですね。いまはもう鳴らされてませんが、風格はバッチリ。屋根の反りとか、木組みの美しさにうっとりします。
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そして本命。源頼義のお墓に遭遇!!
お寺跡の一角に、なんか厳か〜な石柱の囲いがあるんですよ。
で、その中にポツンと立ってる石碑・・・・・・それが、源頼義のお墓!
いやちょっと待って。マジで頼義さん、お寺の地下に埋まってるって話、ガチなんですか!?
自分で「本堂の真下に埋めてくれ」って言うてたらしくて、もはや武士のプライド全開。漢(おとこ)やな。
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そのすぐ横には、「源氏館跡」って石碑もあるで!
えっ、まだ何かあるん?と思ったそこのあなた。はい、源氏館跡です!
源頼信(頼義のパパ)が住んでたとされる館の跡。今は何も建ってないけど、石碑と案内板がちゃんと立ってる。
つまりここが、河内源氏の“リアル拠点”。
現地には「たぶんこのへん」みたいなノリで立ってるけど、想像力で補ってください。脳内CGで館を再現するのが歴史巡りの醍醐味やね!
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地味なのに、クセになる場所!
見た目はそれこそ「原っぱみたいな寺跡」ですが、歴史の密度がえげつない。
派手さはないけど、そこがまたいい。
石碑の向こうに、昔の武士たちの息遣いが聞こえてきそうな・・・・・・そんな“通法寺跡”、オススメでございます!
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『通法寺跡』の場所
グーグルマップ