山手町にやってきた!
大阪府富田林市の山手町。
地名からして「山の手やで!」と主張してるこの町、実際に歩いてみると、静かで、ちょっと不思議で、なぜか印象に残る場所でした。
(撮影・執筆 2025.7)
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地名の由来と成り立ち
「山手町」という名前、なんやちょっとハイソな響きですよね。これはそのまんま、山に近い場所=山の手という意味です。
あと、「山手」という地名は全国的にも見られる一般的な地名でして、都市部の高台や新興住宅地に名付けられることが多いんですよ。
この辺りは富田林の中でも少し高台にあたる場所で、昔は雑木林が広がっていたそうです。それが昭和40~50年代にかけて、住宅地として整備されて現在のような町並みに。いわゆるベッドタウン化の一環やね。
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町への入口は、まさかの「橋一本」
山手町、唯一の出入り口である橋↑(奥に見える家々周辺が山手町です)
まずびっくりしたのが、山手町への入り口がたった一本の橋しかないということ。まるで“町ごと浮島”みたいな立地。川を渡らないとたどり着けない、ちょっとした隠れ里のような雰囲気があります。
これは、地形の影響もあるそうで、西側には川が流れ、周囲は段差のある丘陵地帯。そのせいで自然と道が限られ、開発の際にも出入り口を増やさずに静かな住宅地として整えられたんやろうなぁ、と勝手に妄想。
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実は“ミニニュータウン”? 家がちょっと大きい理由
町の中を歩いていると気づくのが、一軒一軒の家がちょっと大きめなこと。都市部の住宅地に比べて、どの家も敷地に余裕がある感じです。
実は山手町、昭和40〜50年代にかけてベッドタウンとして開発された住宅地。いわゆる千里ニュータウンや泉北ニュータウンのような“巨大ニュータウン”ではないけれど、道幅も広めで区画もきっちり。ミニニュータウン的な性格を持っているんです。
この頃は「マイホームを郊外に!」という夢が広がっていた時代。静かな場所で、ゆったりとした一戸建てを持ちたいというニーズにぴったりやったんやと思います。
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町からの見晴らしも抜群
高台にある山手町は、見晴らしも文句なし。晴れた日には、隣町の街並みや田畑、遠くのビル群まで一望できて、まるで展望台からの風景。
自然に囲まれながらも空が広くて、「住んだら気持ちええやろな~」と、つい言いたくなる景色が広がっています。
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小さな公園に、ちょっとした冒険心
住宅街のなかには「山手町公園」という、こぢんまりした公園もあります。滑り台やまたぐタイプの自転車風遊具があって、地元の子どもたちが遊んでました。
で、奥にはなんと山の斜面に続く小さな螺旋階段。これがまた秘密基地への入り口みたいで、なんともワクワクする雰囲気。遊び場というより、探検気分を味わえる小さな冒険スポットです。
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古神道の「教会」!?不思議な宗教施設も発見
町中を歩いていると、「高千穂照彬教会」という看板のある建物が。しかも書かれてるのは「古神道」!?
見た目からして、おそらくキリスト教の教会ではなく、神話や古代信仰をベースにした神道系の宗教団体の施設やと思います。知らんけど。(筆者は無宗教なので、この手のことには疎いのよ・・・)
建物は年季が入っていてちょっとミステリアス。静かな町に、なぜかピッタリ馴染んでるのが不思議やね。
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廃業したレトロ商店が、ぽつんと一軒
住宅地の中にぽつんと残る、昔ながらの商店跡。今はシャッターが下りたままやけど、看板や店構えにはどこか昭和の空気感が残っていて、近所の人の暮らしを支えてたんやろな~としみじみ。
静かな町の中に、ひっそりと佇む時間の止まった風景です。
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最上部には、立ち入り禁止の謎の池も
今池↑(正確には山手町ではなく大字・東板持に位置する)
山手町を上がりきったところには、柵に囲まれた立ち入り禁止の池(今池)がひとつ。案内板もなく、何のための池かは不明。でもきっと、ため池か防火用水か、そんな感じかと。
ただ、その静けさと閉ざされた雰囲気は、どこか封印された秘密スポットのようでもあり、歩いてて出会うとちょっとドキッとします。
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ちょっと不思議で、のんびりした“隠れニュータウン”
山手町は、観光地でも名所でもないけれど、
橋一本でつながるアクセス
昭和のミニニュータウン感
家々のゆったり感
小さな公園や不思議スポットたち
そんな静けさと謎が入り混じった、“暮らすことに味がある”タイプの町でした。
都会の喧騒から少し離れて、眺めのいい高台でのんびり暮らす・・・・・・そんな理想が、ここにはまだ残っているのかもしれません。
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『山手町』の場所
グーグルマップ