大阪探訪記(by 桜華綴舎)

~隠れた名所と不思議なものを求めて~

終戦前日に完成した『加賀谷家防空壕跡』は大阪市内では最も保存状態の良い空爆シェルター【大阪府大阪市住之江区】

2026-01-15 20:32:19
目次

加賀谷家防空壕跡

※当記事は旧ブログから移管した数年前の古い記事です。現在の情報とは違う部分もあるということを承知のうえお読みください。(撮影・執筆 2017年10月)

北朝鮮のミサイル問題の報道といい、日本のマスコミは戦争をしたがっているような気がする。

・・・というわけで、北朝鮮がミサイルを撃ちまくっているので、防空壕(空爆シェルター)に関する意識が高まりました。実際に大阪府にもいくつか残っているらしいので見てくることに。

そして今回僕がやってきたのは大阪市住之江区にある『加賀谷家防空壕』という半地下防空壕である。大阪市内では一番保存状態がいいらしく、ここまでキレイに残っているのは全国でも非常に珍しいらしいのだ。

戦争遺構ということで、戦時中を生き抜いた人はツラい記憶を掘り起こしてしまうかもしれんが、大丈夫な人だけ続きを読んでくれ。

 (撮影・執筆 2017年10月)

 

 

 昭和20年8月14日、終戦前日に完成

大阪府大阪市住之江区。至って普通の住宅街の中に、ひっそりと防空壕はあった。

多少古い家屋が立ち並ぶが、一般住宅地ということに変わりはなく、わざわざここに来る人間など、僕のような変わり者以外いないだろう。

 

 

 

 

 

上の写真左に写っている謎の低い屋根の家。これが加賀谷家防空壕の跡だという。

 

 

 

 

 

加賀谷家防空壕

戦時中、軍需工場の方が造ったらしい半地下式防空壕です。民間防空壕ということで、近隣住民を避難させるためのものであり、鉄筋コンクリートなのでかなり頑丈。

しかし、完成したのが1945年(昭和20年)8月14日終戦が8月15日なので、その前日だったんた。ゆえに一度も使用されず、キレイなまま今に至るというわけだ。

 

 

 

加賀谷家防空壕の外観のようす

防空壕には空気口(通気口)が必要である、これがないと窒息してしまう。屋根の上にあるパイプはその一部なのだろう。

 

 

 

 

 

入り口は南京錠と鎖で厳重に施錠されています。結局一度も防空壕としての役割を果たすことがなく現在に至る。

 

 

 

 

 

防空壕の側部。奥の方に小さな窓が見える。

 

 

 

 

 

この窓も空気口なのだろう。火の手が入ってこないよう、窓のよこには分厚い鉄板も用意されている。じっさい、焼夷弾(しょういだん)の炎で、防空壕内で焼死や窒息死してしまうというのは多かったらしい。かなり後発に設営された防空壕ということで、炎対策も考えていたのかもしれないです。

 

 

 

 現代の空爆からの逃げ場

現代の兵器(ミサイル等)は昔とは比較できないくらい威力絶大らしいので、こういった個人の防空壕で防ぎきれること難しいかもしれない。

都会では、いちおう地下鉄が防空壕の役割を担っている場合が多いので、Jアラートが鳴ったら近くの地下鉄や地下駐車場に身をひそめるのがいいのかもしれません。

なければ頑丈な建物(学校など)に入ったほうがいいらしい。

 

いちいち軍事兵器を意識しすぎずとも、逃げるための知識くらいは知っておいたほうがいいのかもしれませんね。

 

 

 

『加賀谷家防空壕』の場所

※周囲一帯は普通の住宅地ですので、周りのご迷惑にならないようにしましょう。

グーグルマップ

https://goo.gl/maps/Ca4axVPEa672

この記事を書いた人

シマ(桜華綴舎 代表取締役)

大阪府堺市在住。ブログ歴10年以上で、大阪探訪記録人兼プロブロガー。桜華綴舎(おうかつづりしゃ)の代表取締役です。 2014年から関西の珍スポットなどを紹介する「シマのブログ」(旧ブログ)を書き始め、2025年から新ブログ「大阪探訪記(by 桜華綴舎)」として再始動しました。 当ブログでは大阪をメインに、関西の面白くて不思議な場所を紹介したり、街の歴史や文化を深掘りしていきたいと思っております。どうぞ楽しんでいってくださいね! また私は、日本各地に残る史跡・戦跡・文化財などの調査記録をブログにまとめると同時に、Symbol(XYM)ブロックチェーン上にフルオンチェーンで保存する取り組みを2025年7月より開始しました。 ブロックチェーンの耐改ざん性と長期保存性を活かし、学術的資料を未来にそのまま残すことを目的としています。 このように学術的資料をフルオンチェーンで保存するのは、おそらく世界初の試みであり、静かな快挙でもあります。 研究者や歴史愛好家にとってはもちろん、未来の世代にとっても価値ある「デジタル遺産」となることを願っています。