
大阪府堺市美原区の小平尾地区にやってきました。
東除川っていう川が流れていて、その歩道をチャリで走っていると大きな梵鐘(ぼんしょう)が現れましたよ。
(撮影日 2024.1)
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河内鋳物師と梵鐘

2mくらいはあるのかな? とにかくデカい。
なんでこんなとこに梵鐘が置いてあるの?って話ですが、実は美原区って鋳物師(いもじ)の発祥の地だったりするんですよ。
ちなみに鋳造(ちゅうぞう)ってのは、液体金属を砂型に流し込んで金属製品を成型する技術のことね。鋳造によってできた製品は鋳物(いもの)と呼ばれたりもするぞ。代表的な製品でいうと自動車のエンジンとかが鋳造によって成型されているのだが、この梵鐘も鋳造によって成型されているということなのだろう。
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よく見ると梵鐘には作者の名前などが書かれていました。この梵鐘は金剛輪寺の梵鐘の模型だそうだ。
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河内鋳物師の作品分布図ってのが設置されていたので見てみた。
12世紀から13世紀にかけて鋳造された81口の梵鐘中、50口が河内国の作品とのこと。東海地方から九州地方まで様々な地域で活躍していた河内鋳物師です。
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日本の鋳物師発祥の地 大保
南河内郡美原町大保は、鋳物の始祖石凝姥命(いしこりどめのみこと)の子孫鍋子丸を首長とする鋳物師が住み、首長に大保の官を賜ったのが地名のいわれです。
・・・・・・と、発祥の由来の説明看板には記載されている。
大保地区は、この梵鐘が置いてある場所から北西に1~2㎞離れたところにある地域です。そこが鋳物師発祥なんだけども、現在では大保地区よりもここ小平尾地区に鋳造関係の工場があったりします。僕が知らないだけで、もしかしたら大保地区にも鋳造工場が点在しているのかも。また今度じっさいに探訪して調べてみるわ。
というわけで、今回は美原区の鋳物師の歴史について軽くふれてみました。美原区内にはまだまだ鋳物師関連の史跡がいくつかあるので、またの機会に紹介しますね。
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東除川の梵鐘がある場所
梵鐘は東邦金網製作所の東側の川沿い歩道上に梵鐘はあります。
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