黒山警察署 余部交番↑
大阪府堺市美原区の北余部(きたあまべ)を歩いていたときのこと。
西除川(にしよけがわ)沿いをてくてく歩いていると、ふと交番の横に何かが・・・・・・。
「・・・・・・ん? なんか立ってる?」
近づいてみると、そこには立派な石碑が。
しかも、なんか右上が欠けてる!いったいこれは何なんだ?
そんなわけで調べてみました。この石碑、実はめちゃくちゃドラマチックな歴史がある「治水の碑(治水顕彰碑)」なんです。
(撮影 2024年6月&2025年4月)(執筆 2025年6月)
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西除川ってどんな川?
この石碑のすぐそばを流れている「西除川」。
大阪狭山市の“あの有名な”狭山池(日本最古のダム式ため池!)から流れ出して、松原市や堺市美原区を通って大和川に合流する川です。
昔はこの川、くねくね曲がってて、すーぐ氾濫してたらしいです。
大雨が降れば田んぼは水没、家は流され・・・・・・と、まさに水の災害に泣かされた川だったとか。
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治水の英雄たちと石碑の誕生
「じゃあ放っておかれたのか?」と言うと、そんなことはありません。
地域の人たちは一丸となって堤防を築き、川を整備し、明治27年(1894年)に立派な堤防を完成させたのです。
そして、その偉業をたたえるために大正2年(1913年)にこの「治水の碑」が建てられました。
つまりこれは、地域を洪水から救った人々の努力を称えるヒーロー記念碑なんです!
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欠けた石碑が語る100年の重み
治水の碑↑(柵の中には入れません)
これが治水の碑です。近づくと上部がぽっかり欠けてます。
地震?風化?トラックがぶつかった!? 真相はわかりませんが、100年以上も川を見守ってきた風格がビシビシ伝わってきます。
長年の風雨に耐え、時には大雨で流されそうになりながらも、ここでじっと立ち続けてきた・・・・・・。なんだか泣けてきません?
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西除川との戦いは今も続く
西除川の緑道(遊歩道)↑
西除川はその後もたびたび暴れました。
特に1982年(昭和57年)の大雨では、周辺で3000戸以上が浸水する大災害に。
それを受けて、川幅を広げたり、堤防を強化したり、今もずーっと改修が続けられています。
最近では、歩道や景観の整備も行われていて、「散歩できる川」へと進化中!
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最後に:石碑は語る。「水をナメんなよ」
普段、交番の隣にあるからって、ただの飾り石と思ってスルーしがちですが、この「治水の碑」は美原の人々が自然と闘い、命と暮らしを守った証なんです。
今は静かに立ってるだけかもしれません。だけど、その姿はまるで「油断するなよ。水は怖いぞ」って言ってるようにも見えます。
もし近くに来たら、ちょっと立ち止まって、この石碑をじっくり見てみてください。
過去の闘いと、未来へのメッセージが、そこにきっとあります。
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『西除川の治水の碑(治水顕彰碑)』の場所
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