大阪探訪記(by 桜華綴舎)

~隠れた名所と不思議なものを求めて~

交番の隣にある謎の石碑!?「治水の碑(治水顕彰碑)」が語る、川との100年バトル!【大阪府堺市美原区】

2025-06-27 16:18:37
2025-06-28 17:21:27
目次

黒山警察署 余部交番↑

大阪府堺市美原区の北余部(きたあまべ)を歩いていたときのこと。

西除川(にしよけがわ)沿いをてくてく歩いていると、ふと交番の横に何かが・・・・・・。

「・・・・・・ん? なんか立ってる?」

近づいてみると、そこには立派な石碑が。

しかも、なんか右上が欠けてる!いったいこれは何なんだ?

そんなわけで調べてみました。この石碑、実はめちゃくちゃドラマチックな歴史がある「治水の碑(治水顕彰碑)」なんです。

(撮影 2024年6月&2025年4月)(執筆 2025年6月)

西除川ってどんな川?

この石碑のすぐそばを流れている「西除川」。

大阪狭山市の“あの有名な”狭山池(日本最古のダム式ため池!)から流れ出して、松原市や堺市美原区を通って大和川に合流する川です。

昔はこの川、くねくね曲がってて、すーぐ氾濫してたらしいです。

大雨が降れば田んぼは水没、家は流され・・・・・・と、まさに水の災害に泣かされた川だったとか。

治水の英雄たちと石碑の誕生

「じゃあ放っておかれたのか?」と言うと、そんなことはありません。

地域の人たちは一丸となって堤防を築き、川を整備し、明治27年(1894年)に立派な堤防を完成させたのです。

そして、その偉業をたたえるために大正2年(1913年)にこの「治水の碑」が建てられました。

つまりこれは、地域を洪水から救った人々の努力を称えるヒーロー記念碑なんです!

欠けた石碑が語る100年の重み

治水の碑↑(柵の中には入れません)

これが治水の碑です。近づくと上部がぽっかり欠けてます。

地震?風化?トラックがぶつかった!? 真相はわかりませんが、100年以上も川を見守ってきた風格がビシビシ伝わってきます。

長年の風雨に耐え、時には大雨で流されそうになりながらも、ここでじっと立ち続けてきた・・・・・・。なんだか泣けてきません?

西除川との戦いは今も続く

西除川の緑道(遊歩道)↑

西除川はその後もたびたび暴れました。

特に1982年(昭和57年)の大雨では、周辺で3000戸以上が浸水する大災害に。

それを受けて、川幅を広げたり、堤防を強化したり、今もずーっと改修が続けられています。

最近では、歩道や景観の整備も行われていて、「散歩できる川」へと進化中!

最後に:石碑は語る。「水をナメんなよ」

普段、交番の隣にあるからって、ただの飾り石と思ってスルーしがちですが、この「治水の碑」は美原の人々が自然と闘い、命と暮らしを守った証なんです。

今は静かに立ってるだけかもしれません。だけど、その姿はまるで「油断するなよ。水は怖いぞ」って言ってるようにも見えます。

もし近くに来たら、ちょっと立ち止まって、この石碑をじっくり見てみてください。

過去の闘いと、未来へのメッセージが、そこにきっとあります。

『西除川の治水の碑(治水顕彰碑)』の場所

グーグルマップ

https://maps.app.goo.gl/kq6emG7WpBfRDDcZ7

この記事を書いた人

しま(桜華綴舎 代表取締役)

大阪府堺市在住。ブログ歴10年以上。大阪探訪ライター&プロブロガー。 2025年7月、Symbolブロックチェーン(XYM)上に歴史調査資料そのものをフルオンチェーンで半永久保存することに成功しました。フルオンチェーンでの歴史調査資料の保存は世界初の快挙であり、改ざん不能かつ未来永劫に残る新たな文化遺産保護の形を示します。 また、2014年から関西の珍スポットなどを紹介する「シマのブログ」(旧ブログ)を書き始め、2025年から新ブログ「大阪探訪記」として再始動しました。 当ブログでは大阪をメインに、関西の面白くて不思議な場所を紹介したり、街の歴史や文化を深掘りしていきたいと思っております。楽しんでいってね!