松原市民にとって長年のランドマークだった「イズミヤ松原ショッピングセンター」。
そのイズミヤも、2025年秋に閉店することが決まり、時代の一区切りを感じさせますね。
そんなイズミヤの西側すぐ、ほんの数十秒歩いた場所に、ひっそりと“昭和の残り香”がただよう不思議な商店通りがあるのをご存じかな?
店の多くはすでにシャッターを閉じ、建物は老朽化が進み、なかには半壊状態のまま放置されているような建物もちらほら・・・・・・。
でも、ただの廃れた通りではありませんよ。今回は、この名前すらない商店街風エリアの「成り立ち」や「今」に迫ってみます。
(撮影・執筆 2025年7月)
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ここは“元”市場だったのか? 考察
通りの様子を見ると、「これはかつて市場や商店街だったのでは?」と誰もが思うはず。実際に建物は木造の平屋が多く、軒先には看板の名残がちらほらと残ってました。
地元の資料や地図には「○○市場」「○○商店街」といった記録がぜんぜん見つからなくて、おそらく昭和30〜40年代ごろ、地域の住宅開発とともに自然発生的に形成された“地元密着型の買い物通り”だったのではないかと僕は予想してるんよ。
当時はまだスーパーやコンビニが今ほど普及しておらず、八百屋さん・肉屋さん・お豆腐屋さん・乾物屋さん・・・・・・といった小規模店舗が並び、イズミヤができる前の「地元の台所」として機能していた可能性が高いと思う。
・・・・・・とはいえ、これはあくまで筆者の考察なので、あまり過信はしないようにお願いします。この商店通りについてなにか知ってる人がいたらSNSとかで教えてくれると嬉しいです。
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イズミヤとともに始まり、そして静かに
1978年にイズミヤ松原が開店すると、周辺の人の流れが大きく変わります。
大型スーパーの台頭により、地元商店の多くが厳しい状況に置かれ、徐々に閉店する店も増えていったと思われます。
さらに近年は空き家・空き店舗が目立ち、通り全体が「かつての賑わいを忘れられた存在」に。
建物の一部は屋根が落ちかけていたり、入り口が塞がれていたりと、完全に“時間が止まってしまったような空間”になっていました。
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それでもまだ残る小さな灯り
ホームベーカリーぱんのくに↑(ネットの口コミで高評価の人気店)
そんな中でも営業を続けるお店もあり、通りが完全に消えていないのは救いです。
そのひとつが、地元のパン屋「ぱんのくに」。昔ながらの味わいのパンが並び、地元民らしき人たちがふらりと立ち寄る姿も見受けられたぞ。
でも、この通りの主役はやっぱり、残された建物と空気そのもの。
昭和の風景が、ただ朽ちるのではなく、静かに余韻を残している。そんな独特の魅力があります。
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イズミヤ閉店の今だからこそ、見ておきたい風景
2025年秋のイズミヤ松原の閉店は、この地域にとってひとつの時代の終わり。
そのタイミングで、この“名前のない商店通り”を訪れると、昭和から続いてきた松原の街の営みを、皮膚で感じることができます。
にぎわいがあったこと・・・それが失われていったこと・・・それでもまだ、少しだけ息づいていること・・・・・・。
「ただの古い通り」ではなく、ここにはそんな静かな物語が息づいているのかもしれません。
通りに名前がないのも、ある意味、この場所にふさわしい“無言の歴史”のようなものなのかもしれませんね。
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『ぱんのくに』の場所
※当記事の「商店通り」は「ぱんのくに」南側の道です。
グーグルマップ