大阪探訪記(by 桜華綴舎)

~隠れた名所と不思議なものを求めて~

昭和が取り残された道。イズミヤ松原の裏にある「名前のない商店通り」【大阪府松原市】

2025-07-04 22:49:55
目次

松原市民にとって長年のランドマークだった「イズミヤ松原ショッピングセンター」。

そのイズミヤも、2025年秋に閉店することが決まり、時代の一区切りを感じさせますね。

そんなイズミヤの西側すぐ、ほんの数十秒歩いた場所に、ひっそりと“昭和の残り香”がただよう不思議な商店通りがあるのをご存じかな?

店の多くはすでにシャッターを閉じ、建物は老朽化が進み、なかには半壊状態のまま放置されているような建物もちらほら・・・・・・。

でも、ただの廃れた通りではありませんよ。今回は、この名前すらない商店街風エリアの「成り立ち」や「今」に迫ってみます。

(撮影・執筆 2025年7月)

ここは“元”市場だったのか? 考察

通りの様子を見ると、「これはかつて市場や商店街だったのでは?」と誰もが思うはず。実際に建物は木造の平屋が多く、軒先には看板の名残がちらほらと残ってました。

地元の資料や地図には「○○市場」「○○商店街」といった記録がぜんぜん見つからなくて、おそらく昭和30〜40年代ごろ、地域の住宅開発とともに自然発生的に形成された“地元密着型の買い物通り”だったのではないかと僕は予想してるんよ。

当時はまだスーパーやコンビニが今ほど普及しておらず、八百屋さん・肉屋さん・お豆腐屋さん・乾物屋さん・・・・・・といった小規模店舗が並び、イズミヤができる前の「地元の台所」として機能していた可能性が高いと思う。

・・・・・・とはいえ、これはあくまで筆者の考察なので、あまり過信はしないようにお願いします。この商店通りについてなにか知ってる人がいたらSNSとかで教えてくれると嬉しいです。

イズミヤとともに始まり、そして静かに

1978年にイズミヤ松原が開店すると、周辺の人の流れが大きく変わります。

大型スーパーの台頭により、地元商店の多くが厳しい状況に置かれ、徐々に閉店する店も増えていったと思われます。

さらに近年は空き家・空き店舗が目立ち、通り全体が「かつての賑わいを忘れられた存在」に。

建物の一部は屋根が落ちかけていたり、入り口が塞がれていたりと、完全に“時間が止まってしまったような空間”になっていました。

それでもまだ残る小さな灯り

ホームベーカリーぱんのくに↑(ネットの口コミで高評価の人気店)

そんな中でも営業を続けるお店もあり、通りが完全に消えていないのは救いです。

そのひとつが、地元のパン屋「ぱんのくに」。昔ながらの味わいのパンが並び、地元民らしき人たちがふらりと立ち寄る姿も見受けられたぞ。

でも、この通りの主役はやっぱり、残された建物と空気そのもの。

昭和の風景が、ただ朽ちるのではなく、静かに余韻を残している。そんな独特の魅力があります。

イズミヤ閉店の今だからこそ、見ておきたい風景

2025年秋のイズミヤ松原の閉店は、この地域にとってひとつの時代の終わり。

そのタイミングで、この“名前のない商店通り”を訪れると、昭和から続いてきた松原の街の営みを、皮膚で感じることができます。

にぎわいがあったこと・・・それが失われていったこと・・・それでもまだ、少しだけ息づいていること・・・・・・。

「ただの古い通り」ではなく、ここにはそんな静かな物語が息づいているのかもしれません。

通りに名前がないのも、ある意味、この場所にふさわしい“無言の歴史”のようなものなのかもしれませんね。

『ぱんのくに』の場所

※当記事の「商店通り」は「ぱんのくに」南側の道です。

グーグルマップ

https://maps.app.goo.gl/sKS37eB2yZ4qfZbt8

この記事を書いた人

しま(桜華綴舎 代表取締役)

大阪府堺市在住。ブログ歴10年以上。大阪探訪ライター&プロブロガー。 2025年7月、Symbolブロックチェーン(XYM)上に歴史調査資料そのものをフルオンチェーンで半永久保存することに成功しました。フルオンチェーンでの歴史調査資料の保存は世界初の快挙であり、改ざん不能かつ未来永劫に残る新たな文化遺産保護の形を示します。 また、2014年から関西の珍スポットなどを紹介する「シマのブログ」(旧ブログ)を書き始め、2025年から新ブログ「大阪探訪記」として再始動しました。 当ブログでは大阪をメインに、関西の面白くて不思議な場所を紹介したり、街の歴史や文化を深掘りしていきたいと思っております。楽しんでいってね!