丹上を歩く!
大阪府堺市美原区にある「丹上(たんじょう)」という町、ご存じですか?
「たんじょう」と聞くと「誕生?」って思っちゃいますが、全然ちゃいます。
実はこれ、平安時代からずっと続く由緒正しい地名なんです!
今回はそんな“歴史まみれの現代エリア”こと、丹上を現地取材してみました。歩けば歩くほど味が出る町でしたよ〜!
(撮影・執筆 2025年7月)
。
。
。
。
地名が平安時代から残ってる!? 地名の由来

明治41年測図、丹上地区の地図↑(今昔マップon the webより)
まず驚いたのが、「丹上」という地名がなんと平安時代の辞書『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』にすでに登場してること!
「河内国丹比郡丹上郷」と記されていて、1000年以上の歴史があるってわけですね。
その後は、丹比郡→丹南郡→丹上村→美原町→堺市美原区・・・と、自治体の名前は変われど、「丹上」の地名は生き続けてきたんです。まるで地名界の生きた化石や〜!
。
。
。
住宅と工場が入り混じるユニークな風景
現在の丹上は、住宅地と工場・倉庫が入り混じる、ちょっと独特な町並みが広がっています。
片側には新しく整った一戸建て住宅、もう片側には鉄骨むき出しの倉庫や作業場・・・・・・そんな風景が当たり前のように並んでいるんです。
このミックス感が、いかにも「区画整理後に再開発された町」という印象。
昼間はトラックが出入りし、夕方には子どもたちの声が聞こえるという、まさに“暮らしと仕事が同居する町”なんです。
。
。
。
平成の“区画整理革命”を記念した石碑が!
丹上の公園(丹上1号公園)を歩いていたら、赤茶色の立派な石碑を発見。よく見ると・・・
「美原町丹上土地区画整理事業 完成記念碑」
平成三年三月吉日(1991年)
おおっ、平成初期に行われた再開発の記念碑でした!
この時の土地区画整理によって、道路や住宅地が整い、今の“すっきりした街並み”ができたというわけ。
工場や倉庫も増えて、準工業地域としての顔も持つようになったそうです。
丹上、ただののどかな町やと思ってたら、ちゃんと“再開発ビフォーアフター”があるんやねぇ。
。
。
。
かつては田園の広がる“農のまち”だった
丹上地区にある溜め池↑(溜め池周辺はきれいに整備されている)
ちなみに、今でこそ住宅地や倉庫・工場が並ぶ丹上ですが、かつては田んぼと畑が広がるのどかな農村地帯でした。
地域のあちこちにため池が点在し、牛や農機の音が響いていたという話も。
道路も舗装されておらず、雨が降ると長靴なしでは歩けなかったそう。
昭和後期までは、地元の人々が野菜や米を育て、近隣の市場に出荷していた時代もあったようで、まさに「農のまち」やったんです。
。
。
。
学問の神様もいる!「丹上菅原神社」
丹上の守り神として有名なのが、「菅原神社」。
名前のとおり、あの菅原道真公を祀った神社で、旧・丹上村の鎮守さんです。
明治時代に一度は他の神社に合祀されたものの、のちに復興。地元の人たちの信仰の厚さが伺えます。
境内には大きな御神木も。
。
。
。
住宅街の片隅に“役行者”が!?
さらに驚きポイントがもうひとつ。住宅街を歩いていたら、なんと祠の中に石像が!
それがこちら、修験道の祖とされる役行者(えんのぎょうじゃ)像です!
この役行者、7世紀ごろに実在したとされる人物で、鬼を使役したとか、山で水を呼び出したとか、伝説だらけのスーパースター。
彼がなぜ丹上に?・・・と思いきや、どうやら神社へと続く道を見守る存在として祀られているようです。
古代信仰と現代住宅街の交差点。これぞ丹上の真骨頂や!
。
。
。
意外と交通の便もいい町
美原ジャンクション↑
丹上って歴史はあるけど、交通は不便そう?・・・と思ったら大間違い!
近くには中央環状線や泉大津美原線、さらには美原ジャンクションまであって、車移動にはめっちゃ便利。
物流拠点としても注目されていて、工場や倉庫がぽつぽつと建ってるのも納得です。
歴史ロマンと近代開発のいいとこ取り。こういうギャップ、たまりません!
。
。
。
「古さ」と「新しさ」が共存するまち
丹上は、歩けば歩くほど「え、こんなんあるん!?」という発見の連続。
1000年前の地名、明治の神社、平成の区画整理、令和の物流拠点・・・・・・と、まさに「過去と今」が共存する、ちょっと不思議でおもしろいエリアでした。
何気ない住宅街の奥に歴史が眠っているこの感じ。好きな人にはたまらんと思います。
堺市美原区を歩くなら、ぜひ丹上の奥深さも味わってみてくださいね!
。
。
。
。
美原区の『丹上地区』の場所
グーグルマップ