どーもこんにちは。
今回は、富田林市のちょっと静かな住宅地「東板持町」をぶらり探訪してきました。
古い家と新しい家が入り混じるこの町、実は意外にも歴史の宝庫だったんです。
(撮影・執筆 2025年7月)
。
。
。
。
小山の斜面にある住宅街
東板持町は、富田林市の南東部にある、わりとひっそりしたエリア。
町を歩いてまず感じたのは、地形が“ゆるやかな小山の斜面”になっていること。坂道も多く、ちょっとした運動になります(笑)。
その斜面には、昭和っぽい古いお家もあれば、最近建てられたおしゃれな住宅も。
町全体が「新旧ミックス」の絶妙な雰囲気で、歩いてるだけでちょっと楽しい。しかも静か!
。
。
。
地名「板持」の由来は?
「板持」というちょいと不思議なこの地名、由来にはいくつか説があるんです。
一説には、古代・中世のこのあたりで木材や板材を集積・流通させていた地域だったという説。
また、「板」は地形を指し、「持」は「保つ・治める」の意味から、板のような平坦な土地を治める場所という地形説もあります。
現在の東板持町は、かつての板持村が分割・発展してできた地名で、古くからの地名をそのまま現代に伝えているんですね。
また、東板持町の東側お隣には大字・東板持という町があって、西側お隣には西板持町&大字・西板持なる町が存在してたりする。
板持村、分割しても名前の主張が激しいな・・・・・・。
。
。
。
墓地に建つ、謎多き板持十三重塔
町の一角にある墓地に、ひときわ異彩を放つ石塔を発見。それが「板持十三重塔」です。
どーん、と十三の屋根を重ねたこの石塔、見た目はやや地味ですが、実は鎌倉〜南北朝時代ごろに建立された可能性がある貴重な文化財。
しかも、地元では「楠木正成ゆかりの供養塔では?」というロマンあふれる説もあるとか・・・・・・。
十三重塔といえば「十三仏信仰」に関係があり、亡くなった人を浄土へ導くためのシンボルでもあります。
つまりここ、静かな住宅街のなかに、中世の宗教空間がこっそり紛れてる場所なんですね。すごいぞ、東板持町。
。
。
。
集会所の横に、ちょっと謎めいた「顕彰碑」
集会所のすぐ横には、風化した石碑がひっそりと立っていました。その名も「顕彰碑」。
昭和35年建立です。
碑文にはこうあります。
「東板持に住する者 協然として浄賊を〇〇即ち顕彰之碑を建立す」
うん、頑張ったけどちょっとだけ読めない。昔の文字ってむずいのよ。
富田林市の文化財データベースにも、この石碑についての記載がありませんでした。賢い人~教えてぇ~。
碑文の一部は判読困難でしたが、「東板持の人々が墓地?(或いは寺社や地域)を整備・まとめ、その功績を称えて顕彰碑を建てた」という主旨のように見受けられます。
こういう何気ない石碑にも、昭和の地域共同体の息吹がしっかり刻まれてる。それが東板持町。
。
。
。
町にたたずむ小さな「厳島神社」
住宅街を歩いていると、ふと小さな祠のような神社に出会いました。
その名も厳島神社(いつくしまじんじゃ)。
全国的に有名な広島の厳島神社と同じ名前なんですが、こっちは小規模。素朴な佇まいの神社です。
創建の年代などは不詳ですが、厳島神社はもともと水の神・弁才天を祀る神社であることが多くて、このあたりの湧水や水源、あるいは農業と深いかかわりがあったのかもしれませんね。
こういう小さな神社こそ、地元の人にとっては生活とともにある祈りの場なんだと思います。
。
。
。
静かな町に、ひっそり歴史が息づいていた
一見ふつうの住宅地に見える東板持町。
でも歩いてみると、中世の石塔、昭和の顕彰碑、坂のある街並みなど、味わい深い要素がたくさんつまっていました。
観光地ではないけれど、こういう「ふつうの町」にこそ、地域の歴史や人々の営みが生きているんだなと改めて感じます。
静けさのなかに、ちょっとした発見とロマンを探しに。
ぜひ一度、東板持町を歩いてみてください。
。
。
。
。
『東板持町』の場所
グーグルマップ