大阪人探訪記

~隠れた名所と不思議なものを求めて~

東板持町の探訪。中世の石塔と祈りの神社、斜面の町に眠る知られざる歴史【大阪府富田林市】

2025-07-11 00:02:39
目次

どーもこんにちは。

今回は、富田林市のちょっと静かな住宅地「東板持町」をぶらり探訪してきました。

古い家と新しい家が入り混じるこの町、実は意外にも歴史の宝庫だったんです。

(撮影・執筆 2025年7月)

小山の斜面にある住宅街

東板持町は、富田林市の南東部にある、わりとひっそりしたエリア。

町を歩いてまず感じたのは、地形が“ゆるやかな小山の斜面”になっていること。坂道も多く、ちょっとした運動になります(笑)。

その斜面には、昭和っぽい古いお家もあれば、最近建てられたおしゃれな住宅も。

町全体が「新旧ミックス」の絶妙な雰囲気で、歩いてるだけでちょっと楽しい。しかも静か!

地名「板持」の由来は?

「板持」というちょいと不思議なこの地名、由来にはいくつか説があるんです。

一説には、古代・中世のこのあたりで木材や板材を集積・流通させていた地域だったという説。

また、「板」は地形を指し、「持」は「保つ・治める」の意味から、板のような平坦な土地を治める場所という地形説もあります。

現在の東板持町は、かつての板持村が分割・発展してできた地名で、古くからの地名をそのまま現代に伝えているんですね。

また、東板持町の東側お隣には大字・東板持という町があって、西側お隣には西板持町大字・西板持なる町が存在してたりする。

板持村、分割しても名前の主張が激しいな・・・・・・。

墓地に建つ、謎多き板持十三重塔

町の一角にある墓地に、ひときわ異彩を放つ石塔を発見。それが「板持十三重塔」です。

どーん、と十三の屋根を重ねたこの石塔、見た目はやや地味ですが、実は鎌倉〜南北朝時代ごろに建立された可能性がある貴重な文化財。

しかも、地元では「楠木正成ゆかりの供養塔では?」というロマンあふれる説もあるとか・・・・・・。

十三重塔といえば「十三仏信仰」に関係があり、亡くなった人を浄土へ導くためのシンボルでもあります。

つまりここ、静かな住宅街のなかに、中世の宗教空間がこっそり紛れてる場所なんですね。すごいぞ、東板持町。

集会所の横に、ちょっと謎めいた「顕彰碑」

集会所のすぐ横には、風化した石碑がひっそりと立っていました。その名も「顕彰碑」。

昭和35年建立です。

碑文にはこうあります。

東板持に住する者 協然として浄賊を〇〇即ち顕彰之碑を建立す

うん、頑張ったけどちょっとだけ読めない。昔の文字ってむずいのよ。

富田林市の文化財データベースにも、この石碑についての記載がありませんでした。賢い人~教えてぇ~。

碑文の一部は判読困難でしたが、「東板持の人々が墓地?(或いは寺社や地域)を整備・まとめ、その功績を称えて顕彰碑を建てた」という主旨のように見受けられます。

こういう何気ない石碑にも、昭和の地域共同体の息吹がしっかり刻まれてる。それが東板持町。

町にたたずむ小さな「厳島神社」

住宅街を歩いていると、ふと小さな祠のような神社に出会いました。

その名も厳島神社(いつくしまじんじゃ)。

全国的に有名な広島の厳島神社と同じ名前なんですが、こっちは小規模。素朴な佇まいの神社です。

創建の年代などは不詳ですが、厳島神社はもともと水の神・弁才天を祀る神社であることが多くて、このあたりの湧水や水源、あるいは農業と深いかかわりがあったのかもしれませんね。

こういう小さな神社こそ、地元の人にとっては生活とともにある祈りの場なんだと思います。

静かな町に、ひっそり歴史が息づいていた

一見ふつうの住宅地に見える東板持町。

でも歩いてみると、中世の石塔、昭和の顕彰碑、坂のある街並みなど、味わい深い要素がたくさんつまっていました。

観光地ではないけれど、こういう「ふつうの町」にこそ、地域の歴史や人々の営みが生きているんだなと改めて感じます。

静けさのなかに、ちょっとした発見とロマンを探しに。

ぜひ一度、東板持町を歩いてみてください。

『東板持町』の場所

グーグルマップ

https://maps.app.goo.gl/3Kadxn9Yk5V3pgcYA

この記事を書いた人

しま

ブログ歴10年以上。大阪を中心にいろんなところを歩きまくっている人。 2014年から関西の珍スポット(B級スポット)などを探訪するブログを書き始めましたが、2025年に新さくらのブログ(当ブログ)に引っ越してきました。 当ブログでは大阪をメインに面白くて不思議な場所を紹介したり、街の歴史や文化を深掘りしていきたいと思っております。