大阪人探訪記

~隠れた名所と不思議なものを求めて~

平尾に眠る記憶。神社と戦争と、小学校のあった場所にて【大阪府堺市美原区】

2025-07-14 00:57:44
2025-07-14 01:18:09
目次

神社と戦争と小学校と

大阪府堺市美原区・平尾の静かな住宅街の一角。

何気なく歩いていたら、鉄柵に囲まれた空間の中に、いくつかの石碑が立っているのが目にとまりました。

「英霊顕彰碑」「従軍記念碑」――そして「平喜神社跡」。

ひっそりと、けれど堂々とそこに建つ石碑たちは、まるで土地の記憶そのものを見守っているようでした。

(撮影・執筆 2025.7)

英霊顕彰碑と従軍記念碑:平尾から戦地へ行った人たちの証

まず目に入るのは、戦争にまつわる2つの石碑。

「英霊顕彰碑」は、戦地で命を落とした平尾出身の方々の名誉と功績を称えるために建てられたもの。

「従軍記念碑」は、実際に従軍した人々――戦地に行き、生きて帰ってきた人たちの歩みをたたえるものと思われます。

どちらも、戦争という大きな時代の波にのまれながらも、この地に生きた人々の記憶を後世に伝えようとする意志を感じさせます。

今では鉄柵に囲まれて中には入れませんが、静かに佇むその姿には、確かな重みがあります。

平喜神社跡:神様のあとに、子どもたちの声が響いた

そして、もう一つの石碑――「平喜神社跡」(へいぎじんじゃあと)。

かつてこの場所は、「平尾村大字平尾字平喜」という地名でした。「平喜神社」はその地名を冠した、いわば字の守り神のような存在。地域の暮らしを見守る、素朴で大切な氏神様だったのでしょう。

のちに、この神社は菅生神社に合祀され、社殿は取り壊されてしまいました。

その跡地に建てられたのが、「平尾村立小学校」です。

木造2階建ての校舎があり、坂道の上に門がありました。門の手前には火事などの非常時を知らせる半鐘(はんしょう)も吊るされていたそうです。

地域の神さまの跡地に、今度は子どもたちの声が響く学び舎が建った――なんとも温かい話ですよね。

小学校は静かに幕を閉じた

現在の平尾村立小学校跡地(平喜神社跡地)のようす↑(普通の住宅地に生まれ変わっている)

地元の方のお話によると、この平尾村立小学校は1970年ごろに廃校になったそうです。

ただ「廃校」といっても、教育が止まったわけではありません。生徒たちはそのまま近くの美原町立平尾小学校(現在の堺市立平尾小学校)へ移り、学校としての機能は引き継がれました。

それ以来、この場所は静かにその役目を終え、周囲は住宅地へと変わっていきました。

神社も、学校も、もう建物は何も残っていません。ただ、この3つの石碑だけが、当時の記憶をとどめる存在として今もここに立っています。

石碑たちは語る、「ここに何があったのか」を

小学校・神社の跡地にある小さな公園↑

今、地図でこの場所を見ても「ただの住宅街」としか映らないかもしれません。

でも、実はここには、神様がいて、子どもたちが学んで、戦争の記憶が刻まれていたのです。

英霊顕彰碑、従軍記念碑、平喜神社跡――どれも控えめで派手さはないけれど、この土地を生きた人々の思いがぎゅっと詰まった「歴史の証人」といえる存在。

もし平尾の町を歩く機会があれば、ぜひ少し足を止めて、鉄柵の向こうに立つ石碑たちに目を向けてみてください。

そこには、今では忘れられつつある、平尾のあたたかい記憶が静かにたたずんでいます。

『従軍紀念碑・英霊顕彰碑』の場所

グーグルマップ

https://maps.app.goo.gl/6bGxzfxyMDNVWisT8

この記事を書いた人

しま

ブログ歴10年以上。大阪を中心にいろんなところを歩きまくっている人。 2014年から関西の珍スポット(B級スポット)などを探訪するブログを書き始めましたが、2025年に新さくらのブログ(当ブログ)に引っ越してきました。 当ブログでは大阪をメインに面白くて不思議な場所を紹介したり、街の歴史や文化を深掘りしていきたいと思っております。