西野を歩いた!
大阪府堺市東区にある「西野(にしの)」という町をご存知でしょうか?
地味な名前ながら、実はここ、「文化住宅発祥の地」という伝説的な肩書きをもつ、ちょっと奥深〜い場所なんです。
そんな西野を歩いてみたら、坂道あり、レトロな家並みあり、知られざる歴史ありのびっくりタウンだったので、ご紹介します!
(撮影・執筆 2025.7)
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地名の由来は「西の野原」?それとも「西の集落」?
西野の住宅街↑
まずは名前の由来から。
「西野」という地名は、かつてこのあたりが平坦な野原で、西の方角に広がっていた土地だったことに由来すると言われています。
隣接する「丈六」や「日置荘」などの古い村々と比べると、比較的新しく形成された地名のようですが、地元の古老によれば、明治期にはすでに「西野村」という呼び名が使われていたそうです。
古地図ではこの地一帯は農地が中心で、人家もぽつぽつという感じ。しかし大正末から昭和初期にかけて、ここにある“理想の村”が誕生するのです──。
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昭和初期に出現した「西野文化村」ってなに?
バス停まえ↑
今からおよそ100年前、大正の終わりから昭和初期にかけて、西野の地に生まれたのが「西野文化村(にしのぶんかむら)」です。これがただの住宅地ではない。文化的な生活を送るための理想郷として作られた、全国的にも珍しい“実験住宅地”だったのです!
提唱者は、倉橋仙太郎という人物。
労働者階級の生活向上を目指し、「簡素で健康的な暮らしを、みんなで築こう!」という理想を掲げて仲間を募り、西野に集落を形成。その活動は「プロレタリア文化村」とも呼ばれ、当時の社会運動・民主的自治運動とリンクしていたことがわかります。
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住民の自治組織「村の会」がすごかった
西野公園↑
1924年には、「村の会」と呼ばれる住民自治組織も誕生。
独自の財政システムを持ち、自治による村づくりを行っていたというのですから、これまた先進的。家を建てるだけでなく、文化的な活動(読書会、演劇、教育など)にも力を入れていたというから驚きです。
今でいえば、まさに“シェア型エコビレッジ”の走り。
田園都市やニュータウンとはまた違った、日本の中で異彩を放つ独立型の文化村だったのです。
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文化住宅のルーツはここにあった!
西野にある昔ながらの文化住宅↑
さて、この西野文化村がなぜ「文化住宅の発祥地」とされるのか。
それは、当時この地で建てられた住宅が、従来の日本家屋とはまったく違う、合理的で清潔・コンパクトな住宅設計だったからです。
たとえば、廊下の幅、部屋の採光、風通し、収納、そして水回りの配置──。
現代の感覚で見ても「よく考えられてるなぁ」と感心するような住宅が次々に建てられたんですね。
これが後の「文化住宅」(モダンで洋風っぽい、庶民向け集合住宅)の先駆けとなったと言われています。
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今の西野は? 文化と坂道が入り混じる静かな町
西野には、ものすごい急坂が点在する↑
さて、そんな文化的レガシーを秘めた西野の現在はどうなっているのでしょうか?
実際に歩いてみたところ、まず感じたのが意外な“アップダウン”!
地形は段々になっており、意外と坂道が多いんです。「大阪平野やから平坦やろ」と思っていると、地味に足腰にきます。
そして住宅街をよく見ると、どこかレトロな雰囲気の残る文化住宅風の建物や、きれいなマンションもちらほら。これぞ文化住宅の名残!?と、思わずカメラを構えたくなる光景があちこちに広がっています。
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西野・・・奥が深い
坂をあがった先からの絶景↑
西野という地名だけではなかなかピンとこないかもしれません。でも歩いてみると、この土地が持つ「理想」と「実験精神」の名残が、そっと町のあちこちに息づいているのを感じます。
100年前の人々が夢見た“みんなで文化的に生きよう”という暮らしの姿勢は、もしかすると今こそ見直されるべき価値なのかもしれません。
「文化住宅発祥の地」として、そっと語り継いでいきたい西野の物語でした。
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堺市東区『西野』の場所
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