小平尾川を歩いた!
堺市美原区の静かな住宅街をてくてく歩いていると、ふと現れる細い流れ。それが「小平尾川(こびらおがわ)」です。
見た目はおとなしめの川。ぱっと見ただの用水路っぽく見えるかもしれません。
でも、実はこの小川――火と鉄と戦と、めちゃくちゃ濃い歴史のにおいがぷんぷんする川なんです。
(撮影・執筆 2025.7)(一部、別の日に撮影)
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「小平尾」ってどこ?
さつき野公園、小平尾川に架かる橋↑
かつてこの川の周辺には「小平尾村」という村がありました。明治時代の町村制でできた村で、いまは「堺市美原区 小平尾」って名前でちゃんと残っています。
川の名前に「小平尾」って入ってるのも、「この川は村とセットやったんやで」っていう、いわば郷土のレガシーですな。
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鞴橋(たたらばし)と鉄の記憶
小平尾川の上流――今のさつき野西あたりには、「鞴橋(たたらばし)」という地名がかつて存在していたと伝えられています。
「鞴(ふいご)」ってのは、製鉄に使う送風装置のこと。
つまり、「鞴橋」は文字通り鉄を打つ場所の橋。
つまりは・・・・・・
このへん、昔ほんまに鉄をつくってた可能性高いで!
・・・・・・ということです。
周辺の丘陵地には木も水も風もあって、まさに「たたら製鉄」にぴったりの地形。
川沿いを歩いてると、「このへんでゴォォォォ!ってふいごの音がしてたんかな・・・」なんて妄想が広がりますな。
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平尾城?どこにあるん?
この地域には、南北朝時代に楠木正成の一族が築いたとされる「平尾城」がありました。
・・・が、実は、もうお城は残ってません。ガチで跡形もなし。
そのかわり、現在は「太成学院大学」の正門前に、
「平尾城址」と刻まれた立派な石碑が建てられています。
ただしこの石碑、城そのものがあった場所とはちょっとズレてると言われています。
おそらく本当の城跡はもう少し丘陵の高台のほうやと思います。
つまりいま残るのは、石碑と伝承だけ。でも、川と城の関係を思い描くには十分です。
小平尾川の水が、城下をうるおし、防御にも使われていた・・・・・・
そんな想像、めっちゃロマンあるやん。
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鋳物師の村でもあった
小平尾地区に佇む梵鐘↑
この地域、実は「河内鋳物師」の土地でもあります。
鐘や仏具、いろんな金属製品を作っていた職人たちの村。
鋳物づくりにはもちろん水が必須。
小平尾川は、そういった暮らしや信仰を支える、ものづくりの川でもあったのです。
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小平尾川 生き物いっぱい
宅地化が進んだ現代においても、小平尾川の周辺には豊かな自然が息づいています。
特に春から秋にかけては、
カワウ、コサギ、カモなどの野鳥が空から舞い降り、川沿いでのんびり過ごす様子が見られます。
カメたちが甲羅干ししていたり、ウシガエルの声がグォーッと響いたりも。
あとは、謎の小魚の大群も泳いでましたわ。
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川の水、いまも大活躍中やで!
小平尾川の遊歩道↑(田園地帯が広がってる)
実はこの小平尾川、ただ流れてるだけやないんです。
今でもしっかり働いてます。そう、農業用水として!
近くの田んぼや畑に水を届けるため、自動ポンプでゴゴゴゴォーーッ!!っと水をくみ上げてるんやそうです。
すごない? 川がんばってるやん!
昔は鉄を冷やして、今は野菜を育てて――
何百年もずーっと、地元の暮らしを支えてるえらい川なんですわ。
ほんま、派手さはないけど、地域密着型スーパー川って感じ。
地味やけど、実力は本物やな!
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おわりに――流れの向こうにあるもの
小平尾川は、小さな川。でもその流れの中には、
鉄を打つ音、城を見上げる人々の暮らし、水辺のいきものたちが今も息づいています。
ただの川じゃない。
そこに流れてるのは、村の昔ばなしそのものなんです。
美原を歩くとき、ちょっとだけ寄り道して、小平尾川を眺めてみてください。
静かな水の向こうに、歴史と自然が重なって見えてくるかもしれません。
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『さつき野公園(小平尾川)』の場所
※あくまで一例ですが、さつき野公園の南側に小平尾川は流れています。
グーグルマップ