藤沢台を訪問
ここは大阪府富田林市にある藤沢台という地区です。
いきなりですが、「藤沢台」って聞いて、どんなイメージが浮かびますか?
大型団地?
坂の多い住宅街?
それとも・・・・・・金剛東ニュータウンの一角?
たしかにそれも正解。でも実はこの藤沢台、名前のルーツや開発の経緯をたどっていくと、ちょっとした“まちのヒミツ”が見えてくるんです。
(撮影・執筆 2025.7)
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「藤沢台」って、どうしてそう呼ばれるの?
藤沢台、団地の中にある遊歩道↑(公衆電話あり)
ネットの情報では、もともとこのあたり一帯に「藤沢(ふじさわ)」という小さな地名(小字)があったという説があるみたいです。しかし、公式の資料では小字「藤沢」の名前は確認できませんでしたので、正確性には欠けます。
つまるところ、正確な地名の由来は不明ということです。
「藤の花が咲いていた」説や「藤さんが住んでた」説・・・・・・ではないとは思うけど。(たぶん)
地形的にはゆるやかな丘陵で、昭和40年代(1970年前後)に、近隣の向陽台や小金台とともに「金剛東ニュータウン」として一大住宅地に造成されたという経緯があります。
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ニュータウンなのに、意外と歴史がある?
残念ながら、「藤沢台」単独での歴史的出来事などは、資料上では全然見つかっていません。
しかしっ!!
意外かもしれませんが、このあたりの丘の裏側には江戸時代から続く“開拓者魂”が息づく村があるんです。
たとえばお隣の「五軒家」。
ここ、名前のとおり、昔むかし、5軒の家が集まってできた村なんですよ。
なんでも、近くの廿山村(つづやまむら)から5軒だけ飛び出して、新しい土地を開拓したとか。
もしかすると、当時の人たちがこの藤沢台のあたりに最初に足を踏み入れていたかもしれません。
団地の奥に、そんなロマンが埋まってたなんて・・・・・・ちょっと感動じゃないですか?
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団地だけじゃない!一戸建てもマンションも
藤沢台のマンションたち↓
藤沢台といえば団地のイメージが強いかもしれませんが、歩いてみると一戸建て住宅もしっかり混在しています。
団地も、高層タイプから低層の集合住宅までバリエーション豊か。住宅街の風景に緩急があって、歩いていて飽きないんですよね。
大型マンション1階にあるシャッター街↑
さらに、大型のマンションにはかつて1階に店舗が入っていたところもあって、現在ではその一部がシャッター街に。でもそのすぐ隣には現役のスーパーも元気に営業中!
団地内の現役のスーパー スカイマート↑(地元の方の話によると、20年くらい前はジャスコだったらしい)
藤沢台は、日々の買い物にも困らないエリアだと思います。
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学校も近い、学生の姿もちらほら
金剛高校まえの道↑
藤沢台の北側には、大阪府立金剛高等学校が立地しています。
登校時、制服姿の高校生が団地の坂道を自転車で駆け上がっていく姿がちらほら。静かな住宅街の中に、ちょっとした青春の風景が混ざってる感じがまた良いんです。
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藤沢台公園と2号緑地でホッとひと息
藤沢台公園↑
団地の間を歩いていると、ふいに緑豊かな空間が現れました。
ここが藤沢台公園。ベンチや遊具もあり、子どもたちの元気な声が響くスポットです。まちにしっかり溶け込んでいて、「地元の人が日常的に使ってる感」がいい雰囲気でした。
藤沢台2号緑地↑(遊具はなく、遊歩道と溜め池跡?だけの公園)
さらに別の場所には、もうひとつの憩いの場、藤沢台2号緑地があります。こちらは名前こそ「緑地」ですが、実際は木々はほとんどなく、ひらけた広場と遊歩道が広がる公園。
そして、奥のほうにはかつて溜め池だったのでは?と思われる跡地も残っていて、ちょっとした歴史の片鱗を感じさせます。
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団地のまちに、ドラマあり。
藤沢台は、ただの住宅地ではありません。
丘の上に並ぶ家々の向こうには、
江戸時代の開拓者の夢があり、
昭和のニュータウン構想があり、
今を生きる人々の暮らしがあります。
マンションもあれば一戸建てもあり、シャッター街の隣にはスーパーが元気に営業中。
そして、のんびり歩ける公園と、ちょっとした歴史の気配も。
このまちを歩けば、ふと足元から何かが語りかけてくるかも。そんな気がしてなりません。
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富田林市『藤沢台』の場所
グーグルマップ