旧陸軍駐屯地の「古い塀と石造りの柱」
大阪府堺市北区にある金岡公園。その駐車場の片隅に、訪れる人の多くが見過ごしてしまいそうな古い塀と石造りの柱が残されています。
これらは、戦前から戦中にかけてこの地に存在した旧陸軍の駐屯地の一部と考えられており、今では数少ない「戦争遺跡」として静かにその姿をとどめています。
(撮影・執筆 2025.8)
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騎兵から捜索部隊へ
この地域には、昭和7年(1932)に大阪市真田山から移転してきた「騎兵第四連隊」の兵営がありました。
のちに昭和17年(1942)には「捜索第四連隊」へと改編され、偵察・索敵を任務とする部隊がここを拠点としていました。
また、昭和9年(1934)頃には補給・輸送を担う「輜重兵第四連隊」も配置され、この一帯は軍事的に重要なエリアとなっていきます。
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戦後は米軍キャンプに
終戦後、この駐屯地は進駐米軍に接収され、「キャンプ金岡(Camp Kanaoka)」と呼ばれました。しばらくは米軍施設として使われ、昭和32年(1957)に返還。
昭和34年(1959)には堺市の都市公園として整備され、今日の金岡公園が誕生します。
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現在に残るもの
写真の塀と柱は、駐屯地時代の正門や境界施設の一部だったと考えられています。
石材やコンクリートの質感には時代を経た風格があり、直線的で重厚なデザインは当時の軍用施設特有のものです。
周囲は今や市民の憩いの場となっていますが、この一角だけは、まるで時が止まったかのような静けさがあります。
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戦争遺跡としての意味
こうした遺構は、目立たない存在ながらも、地域がたどった歴史を物語る貴重な証人です。
軍事拠点としての過去、戦後の混乱と米軍統治、そして平和な公園への転換──その変遷を知ることで、普段何気なく歩く場所にも深い歴史が息づいていることを感じられます。
金岡公園を訪れた際は、ぜひ駐車場の片隅に残る塀と柱に目を向けてみてください。その静かな佇まいが、かつてここにあった営みと、そこに生きた人々の時代をそっと伝えてくれるはずです。
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堺市『金岡公園 駐車場』の場所
※本件の史跡は、金岡公園駐車場の片隅にあります。
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