旧陸軍駐屯地の石柱
大阪府堺市北区・府道28号線沿い、国立病院機構 近畿中央呼吸器センターの横の歩道に、無言で立ち続ける一本の石柱があります。
周囲に説明板などはなく、気に留めず通り過ぎる人も多いでしょう。しかし、この石柱は、かつてこの地が旧日本陸軍の駐屯地であったことを伝える、数少ない戦争遺構のひとつです。
(撮影・執筆 2025.8)
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金岡一帯と旧陸軍の歴史
昭和初期、この一帯は広大な陸軍施設の敷地だったそうです。
騎兵第〇連隊や輜重兵(兵站輸送部隊)が置かれ、併設の衛戍病院も整備されていました。周囲はまだ田畑が広がり、金岡村と呼ばれていた時代。軍施設は町の経済や雇用にも影響を与え、多くの兵士や職員が行き交っていたといいます。
戦時中は当然ながら軍事施設として厳重に管理され、地元住民も立ち入りは制限されていたとのことです。
終戦後、施設はアメリカ軍に接収され、「キャンプ金岡」として使用されます。昭和32年(1957年)に返還されるまで、ここは米軍の兵舎や倉庫としても活用されていました。
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見取り図に見る当時の様子
版権の都合上、ここに当時の見取り図を載せられなくて申し訳ありません。
図書館で戦前・戦中の見取り図を見てみたのですが、現在の金岡公園・近畿中央呼吸器センター・周辺住宅地一帯が、ひとつの大きな囲いで囲まれ、内部には規則正しく並んだ兵舎や馬屋と思われる家屋が記されています。現在の府道28号線沿いも当時は施設の境界線にあたり、今回の石柱はその門の一部だった可能性が高いと考えられます。
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石柱に刻まれた時代の痕跡
この石柱の側面には、かつて門扉を取り付けていた金具などの跡が残っています。長年の風雨で表面は変色し、金属部は錆びついていますが、しっかりと立つ姿は往時の重厚さを感じさせます。
周囲が公園や住宅街へと姿を変えても、この石柱だけは撤去されず、変わらぬ位置に立ち続けてきました。
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戦争遺構としての価値
現在、旧陸軍施設の建物はほぼ失われています。石柱は当時を知る数少ない「物証」であり、軍都・堺の歴史を伝える貴重な遺構です。日常の風景に紛れ込みながらも、これは確かに戦争と結びついた過去を秘めています。
戦争を直接知らない世代が大半を占める今、このような遺構を目にすることは、過去を学び、平和の尊さを考えるきっかけとなります。石柱は、静かに、しかし確かに、歴史の重みを語り続けているのです。
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『国立病院機構 近畿中央呼吸器センター』の場所
※石柱は、国立病院機構 近畿中央呼吸器センターの西側、府道28号線沿いの歩道上にあります。
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