丈六を探訪!
丈六公園↑
大阪府堺市東区にある「丈六(じょうろく)」という町を歩いてきました。
まず最初に言いたいのは――この名前、強そうすぎません?「丈六」って、なんか必殺技みたいな響きですよね。まるで「北斗の拳」の奥義か、RPGに出てくる必殺剣の名前。もし私が敵キャラだったら、「丈六剣!」って叫ばれただけでHPが半分減りそうです。
でも実際の丈六は、そんなバトルフィールドではなく、のんびり落ち着いた住宅街。名前のインパクトと現実のギャップがすでに面白い町なんです。しかも住宅地だけではなく、歩いてみると田園地帯も広がっていて、のどかな田んぼの風景が残っているのが印象的でした。歴史と現代、そして田園と住宅が入り混じった、ちょっと不思議な景色が見られるんです。
(撮影・執筆 2025.8)
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地名の由来はお寺から?
登美丘北公園の噴水↑(登美丘北公園は丈六地区で一番大きな公園)
そもそも「丈六」という地名は、行基さん(奈良時代に大活躍したスーパーお坊さん)が建てた「丈六寺(釈迦院)」に由来という説が有力です。・・・とはいえ、あくまで一説であるだけで、公式では不明だったりします。
上記の有力説では、仏像の大きさを表す言葉「丈六」(約4.8メートル)から来ているらしく、「うちのご本尊デカいで!」というのが地名になったわけですね。昔の人、ネーミングセンスが豪快すぎる。
江戸時代には「丈六新田」とも呼ばれ、新しい田んぼが開発されていました。丈六新田には狭山池の送水路が使用されていたそうな。つまり「歴史あるのに、新田」。この矛盾感、ちょっとツッコミ入れたくなります。
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町の成り立ちと歴史
丈六の田園地帯に流れる水路↑
丈六は、古代は河内国の丹南郡に属していて、寺院とともに歩んできた地域です。中世を経て村として発展し、江戸の頃には田んぼがどんどん開かれて「丈六新田」と呼ばれるようになりました。明治以降は周辺の村と合併し、今の堺市東区の一部になっていきます。
歴史をざっくり物語にすると、まず古代に行基さんがドーンとお寺を建てて、次に中世では村がコツコツと広がっていき、江戸時代には田んぼだらけの新田が誕生し、そして現代になると住宅街と田園が同居する町へと進化していった感じです。RPGに例えるなら、「田んぼモード」から「住宅モード」にクラスチェンジしつつ、ちゃっかり田園要素も残した、二刀流の進化を遂げたわけですね。
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街並みと雰囲気
実際に歩いてみると、落ち着いた住宅街が広がりつつ、少し歩けば田園地帯ののどかな風景にも出会えます。家々が並ぶエリアと、田んぼの緑が広がるエリアが近くにあるので、同じ町を歩いているのに風景がガラリと変わるのが面白いところです。白壁の家や狭い道に昔の面影を感じられる場所もあり、どこかタイムスリップしたような気分になる瞬間もありました。
全体としてはベッドタウン感が強く、静かで暮らしやすそうな環境なのですが、田園の広がりがあるおかげで「住宅街オンリー」の無機質さがなく、自然と人の生活がうまく混ざり合っている印象でした。
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丈六を歩いてみて・・・
登美丘北公園の散歩道↑
丈六は、名前のインパクト大! でも実際はほっこり住宅街と田園地帯が入り混じる、というギャップ萌えな町でした。歴史的には行基さんのお寺に由来し、江戸の頃には新田開発が進み、そして今はベッドタウンとして静かに息づいています。
歩いてみると、必殺技みたいな名前とは裏腹に、とても平和でのんびりした空気が流れていました。いやもう正直、ここで必殺技を繰り出すのは場違いすぎる。もし叫ぶなら――
「丈六平和拳!!」
・・・・・・はい、今日も平和な丈六でした。
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堺市東区『丈六』の場所
グーグルマップ