
ロシア兵墓地と泉大津

ここは大阪府泉大津市。
毛布のまち、港のまち、そして意外にも「ロシア兵のお墓があるまち」でもあります。
・・・・・・え?大阪でロシア?なんでまた?
そう思ったあなた。実はこのロシア兵墓地、けっこうすごい歴史を秘めているのです。
(撮影 2019.2)(執筆 2025.7)
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日露戦争と泉大津

時は明治時代。1904年から1905年にかけて、日本とロシアは戦争をしていました。そう、「日露戦争」です。
この戦争で日本は勝利したのですが、戦場で捕虜となったロシア兵たちが、全国各地の収容所に送られました。
そのうちの一つが、ここ泉大津だったのです。
当時、泉大津には捕虜収容所が置かれ、ロシア兵たちがここで暮らしていたのですが、慣れない土地と気候、病気などで命を落とした人も少なくありませんでした。
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異国の地に眠る彼ら

ロシア兵たちのお墓↑
亡くなったロシア兵たちは、地元の人々の手で丁寧に弔われ、現在の「ロシア兵墓地」に葬られました。
場所は泉大津市内の住宅地の一角。今も静かに整備されていて、石碑や墓標が並んでいます。
墓碑には名前などが刻まれ、日本の墓地とはまた違った雰囲気があります。
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地元の人たちの想い

ロシア兵墓地のウォールペイント↑
泉大津市や地元の方々は、この墓地を歴史の一部として大切に守り続けています。
異国の地で命を落とした兵士たちに対する敬意と、人としてのつながり。
戦争の時代であっても、人と人のあいだに温もりはあったのだと、そんなことをしみじみと感じさせられます。
けっして観光地というわけではありませんが、こういう「忘れられそうな歴史」にふれると、旅の意味がちょっと深くなりますよね。
泉大津に立ち寄ることがあれば、ちょっと足をのばして、静かな墓地に手を合わせてみてはいかがでしょうか。
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泉大津市『ロシア兵墓地』の場所
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